こんにちは赤ちゃん
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はるちゃん出産話 のつづき。
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おとうさんに
「ホラあかちゃん、こんにちはーって出てきたよ」と言われて
小さい声で「こんにちは…」と言ってました。
その光景をどう理解したんだろう。
「ホントにあかちゃんがはいってたんだ…」って感じか?^^
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お産という大仕事を終えての夜。
半年以上大っきいおなか抱えていたので
急にへっこんだ状態に慣れずに
「あれ?おなかどこいった?」と思っちゃいます。
この助産院は産んだ直後から母子同床。
産まれたてで湯気が出てそうな新生児と
一緒の布団に並んで寝ます。
授乳は時間を決めず泣いた時に寝乳で。
初夜は私の出血が多かったこともあり
産み部屋の布団ででそのまま寝ました。
「今晩はまあ、おなかから出てしばらくは、赤ちゃんも
そんなにおっぱい飲まないからよく休んでね。
うんちも私が起きている時間なら私が変えてもいいし。
と先生が言ってくださったので
先生が起きてる時間ってどんぐらいだろう、と思っていたら
深夜2時くらいにはるちゃんがちょっと泣いたら
すぐに先生が「泣いた?」と部屋に来てくれました。
この日はお産がもう1件あったというのに先生タフ!
いつ寝てるの?
《つづく》
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分娩時にかなり出血が多かったため
しばらくは動くこともできず寝たきり状態の私。
汗でぐっしょりの服を
先生や助産師さんたちが手早く着替えさせてくれた。
この時、寝たままの私の腕を抱えて袖を通させたり
抱き上げて下のシーツを取り替えたりを
実に慣れた手つきでテキパキやっていただき
私が入院用に用意したのがこんな
いかにも「寝巻き」という感じのものだったので
少し前に見た映画『おくりびと』の中で
納棺師がご遺体を着替えさせるシーンを思い出してしまい
「『おくりびと』のワンシーンみたいっすねぇ」と
我ながらいらん事を言うてしまった。
このめでたい時に…。
しかしその後先生が返した言葉がよかった。
むかえびと。
いい言葉を聞いた…。
新しい命を迎え入れる仕事ってことかぁ。
私の空気読めない発言にも
笑顔でさらっとこういう返しができる先生は
この仕事がすごく好きなんだなぁと思いました。
《つづく》
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私の胸の上でカンガルーケア中のはるちゃんを見て
いっくんが「あかちゃんあかくなってきた」と言った。
ホントだ、出てきたばかりの時はムラサキっぽかった赤ちゃんが
だんだん赤みが出てきてよりかわいらしくなってきた。
さて赤ちゃんが出てきてもまだ後産が残っている。
胎盤ね。
先生が取り出した胎盤を見せてくれた。
けっこう大きい。
ヤマザキのパンまつりでもらえる皿くらいの大きさだ。
触ってみる。
へその緒とつながっている側は
筋張ったような膜がはっているけど
裏返すとキレイな血の色で生レバーそっくりだ。
ながめているうちに思わずおいしそうと思ってしまった。
実は私はずっと胎盤食べたい願望があって
バースプランにも「胎盤食べたい」と書いていたんだけど
なんか最近そういう(人肉?を食用として扱う)ことしちゃいけない風潮らしく
残念ながらその希望はかなえられなかったのだった。
よく分からないけど損壊罪とかになるのかな?
佐川一政の事件みたいなこと?
でも自分で自分の胎盤食べるのもだめなのかぁ…。
だって絶対産直後に必要な栄養たっぷりだと思うんだけど。
普通は赤ちゃんを取り上げてへその緒を切ってから
胎盤を取り出すというのがよくある順番だけど
ここでは胎盤も出してしまってからへその緒を切る。
へその緒のトクントクンいうのがおさまってから切るんだって。
私は後産での出血が多くて先生にお腹を
マッサージしてもらっていて動けなかったたので
隣の部屋でおとうさんといっくんが
はるちゃんごと胎盤を持っていてへその緒を切る。
はさみなんてほとんど使ったことのないいっくんに
「畑のアスパラガスとる時みたいに切るんだよ」と
おとうさんがなんだか具体的な指導をしていた。
こんなぐねぐねしたアスパラはねぇよ。
数分前までおかあさんの体の一部だったはるちゃんも
ともかくこれで事実上ひとり立ちだ。
ずっとお腹の中でがんばってくれていた胎盤も
おつかれさま。
「ありがとう、いい胎盤です」と声をかけた。
《つづく》
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頭がもう見えてるとわかったら
ゴールはもうすぐそこだ。
ようしもうひとふんばり!と思い切りいきむが
そうだった、ここで出すのを急いじゃいけない。
「ひまわり」では会陰切開をしない。
(というか助産院では医療行為である会陰切開はできない)
なのでお産のときはオイルを使ったりして
ゆっくりじっくりと赤ちゃんを取り出す。
ここで一気に出そうとすると裂けちゃうのだ。
いっくんの時は「ハッハッハ」でいきみのがしをしたけど
ここでは空を泳ぐように腕をゆっくりまわしながら
「ふぁ~~」と声を出して力を抜く。
自分では見えないが赤ちゃんの頭部が出たらしい。
赤ちゃんが産道をぐるりと回りながら通る感覚。
一番つっかかっていたところ(肩か?)が抜けると
後はずずずっと…
破水したのが 14:06。
おとうさんの携帯に電話したのが 14:17。
その後すぐおとうさんといっくんが戻ってきて
産まれたのは 14:25!
陣痛スタートからは4時間弱での出産。
早かった~。
朝の段階では気配すらなかったのに
昼過ぎにはこうやって抱いているなんて。
放心状態のおかあさんだった。
《つづく》
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のつづき。
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先生が体重をかけてガンガンお腹を押す。
妊娠中、早産防止のために服用していた
ウテメリンという薬は、持続性があるそうで
臨月に入る前に飲むのをやめていたんだけど
この時かなりいいところまできているのに
なかなか赤ちゃんが下りてこないのは
ウテメリンが残っているからかもしれないらしい。
ウテメリンの効果というのは実はまだはっきりしてないらしい。
というのも、服用した妊婦が服用することで
早産を免れた例があったとしても、
その妊婦がもし服用しなかった場合でも
早産にならなかったかもしれないから。
同じ条件で服用した・しない場合の結果を
比較することができないわけです。
とはいっても飲まずに何かあってからでは遅いので
飲まなしゃーないもんね。(;´Д`)
ところでこの助産師さんが手で押して
出産の手助けをすることを、妊娠用語で
クリステレル圧出というらしい。
クリステレル。
とか左ななめ上方を見つめて言ったりする余裕は
もちろんありませんでした。
そのうち外に出ていたいっくんとおとうさんが帰ってきた。
電話をうけてすぐに戻ってくれたらしい。
いっくんが先に部屋に飛び込んできて
今しがた田んぼで見たカエルの報告をしてくれた。
いやおかあさん今カエルの話どうでもいいわ。
後にしてくれるかな。
いっくんによるカエルの鳴きマネが始まった頃
股の間になにかはさまる感じが。
体を横向きにする。
上側になる足を先生の肩に乗せてもらう。
「ホラホラ頭が出てきたよ!いっくん見てごらん!」
先生に言われておとうさんといっくんが
おかあさんの股を覗き込む。
いっくんはちょっと驚きながらもしっかりと見ている。
それが赤ちゃんの頭であるということを
おとうさんが教えている。
「あなたもさわってみて」と
先生が私の手を股のほうに引いてくれた。
濡れた髪の毛の感触をはっきりと感じた。
まだ私の体の一部であるこの子に初めて触れた。
もうすぐ会える、本当にもうすぐだ!
《つづく》
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いっくん出産の時は人工破膜で
いつ破水したのかも気づかなかったから
こんなに手ごたえ(というか股ごたえ?)が
はっきりあるものなんだとびっくりした。
陣痛は続いているものの破水は快感だった。
そして確実に破水を境に陣痛が激しくなった!
もうちょっとなのになかなか赤ちゃんが下りて来ず、
照美先生がお腹の上に手を置いて、体重をかけ
心臓マッサージのようにガッシュガッシュ押す!
痛ぇ!
いよいよという状況になってきたので
散歩に行ったおとうさんといっくんを電話で呼び戻す。
携帯を手に持った、が…
自分では割と冷静なつもりでいたのに
やっぱりまともな精神状態でなかったのか、
使い慣れた携帯なのにどう電話かけるのか分からなくなってた。
助産師の一見さんに携帯を渡して操作してもらった。
しかし後から気がついたんだけど
当時の私の携帯待ち受け画面て
いっくんのちんこ&ツーケー丸出し写メ。
こんなの見せちゃってなんか
スイマセンでした ヽ(;´Д`)ノ
《つづく》
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さあぐらいから陣痛がかなり本格的になってきた。
間隔もどんどん短くなり痛みもかなり強いものに。
お昼ごはんの後から、運動メニューに
四股踏みが加わった!
痛みの谷の間は、赤ちゃんが降りてくるように
腰をぐるぐる回したりするんだけど
↑こんなことする余裕もそのうちなくなってきた。
痛みの波がきたら、どうしても腹に力が入る。
そのうちお尻の方にいきみたい感覚が。
ガマンせずにいきんでいいと言われたので
しゃがみこんで思いっきりいきむと
助産師さんが出口を押さえて
胎胞の張り?なのかな?の様子を見てくれる。
※この時点で子宮口8~9cm開くらい。
いっくんがそばでチョロチョロしているので、先生に
「おかあさん集中できないから、ちょっとご主人
いっくんとそのへん散歩でもしてきて」と言われ
おとうさんといっくんは外に出て行った。
それからも動く、いきむをくりかえすうち
いよいよという感じになってきたので産み部屋の布団へ。
助産師の一見さんが頭側に座り、分娩台の代わりになってくれる。
いきむ時は一見さんの手を握っていきむので
腕に伝わる感覚で一見さんには私の力の入れ具合が分かるので、
「さっきより弱いかな」「うん、力入ってる」とか言ってくれる。
照美先生はお腹、矢野さんは股の間に。
私と赤ちゃんも数えたら5人体制でのお産だ。
みんながんばってる。
産み部屋に入ってから何度目かのいきみで
はっきりと水風船のはじけたような音が自分にも聞こえた。
破水した!
《つづく》
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助産師さんに「じゃあ陣痛呼びましょうね」と
気軽に言われたものの、そう簡単にいくのんかい
と思っていたらホントに陣痛が来た。
びっくりした。
「ひまわり」にはいわゆる分娩室がない。
もちろん分娩台もないんだけど
じゃあどこで産むのかといったら
基本的にはどこで産んだっていいらしい。
とはいえ一応「産み部屋」というのはある。
普通のフローリングの部屋に畳と布団が敷いてあるだけ。
そこでちょっと横になって休んでいると
いっくんがドタバタ走り回ってる足音とか
台所の方からは(昼前だったから)
昼ごはんの天ぷら揚げてる音とか聞こえてきて
いっくん出産の時に比べてすごい日常感。
「お産」もこういう普段の暮らしの中の出来事である、
という感じがすごくいいなあと思いました。
さて陣痛からうまくお産につながるように
この陣痛を進めるためにはどうするか。
それには陣痛中でもどんどん動くのです。
階段を上り下りしたり
スクワットをしたり
お腹は大きいし陣痛はどんどん強くなるしで
すごく大変なんだけど、この運動中はずっと
助産師さんが階段昇降もスクワットも
つきっきりで一緒にやってくれるのだ。
だから孤独感とかはまったくない。
思えば病院産では、分娩台に乗ったら
看護婦さんはずっといてくれるわけじゃなくて
たまに様子を見に来てくれても見ているのは
私の体じゃなくて機械のデータだったりする。
ここではNSTなんかもつけないので、助産師さんが
ときどきお腹やお尻側の出口あたりにちゃんと触れて
「もうちょいかな」とか「いい感じだね」とか言ってくれる。
信頼できる感じだ。
そして陣痛真っ最中でもご飯は食べる。
腹が減っては戦はできぬといいますからね。
おとうさんといっくんにコンビニで
おにぎりとウィダーインゼリーを買ってきてもらった。
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出産予定日当日、健診の予約を入れてあったので
今日産む!と決めた私は入院グッズを車に乗せて
朝一で助産院に向かった。
助産院に着き、開口一番
と自分の決意を伝えると、助産師の矢野さんは
と応えてくれた。
「促進剤とか使わなくてもね、女性のパワーで
お産っていうのはある程度コントロールできるんですよ」
と矢野さんは言ってくれた。
じゃあ私がその気になれば赤ちゃんも
出てくるモードになってくれるんだ!
ってそんなにうまくいくのかしら?
どんな顔だか自分では分からんが
お産のプロには見ただけでわかるらしい σ(^_^;)
内診をしてもらうと、「まだ押してきてる感じないなー」と。
お産になる時には胎胞がパーンと張るんだって。
それが進むと破水するってことかな?
「まだ赤ちゃんがノッてきてないからその気にさせましょう」と
足浴しながらおっぱいマッサージをしてもらっていると
30分ほど足浴&マッサージを続けると
体がポッポしてきて汗がだらだら出てきた。
キューっとしたお腹の張りが強くなってくる。
先生達が他の妊婦さんの健診のため
ちょっと別室に行っている間に
どうやら本格的な陣痛が始まったらしい。
《つづく》
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さてはるちゃんを出産した助産所について少し。
今回お世話になった マタニティハウス ひまわり は
原則として、月に5件までのお産しか引き受けていない。
その分ひとりひとりとじっくりと向き合ってくれている。
所長の鈴木照美先生は助産師でありながら
心理カウンセラーの資格を持っており、
妊婦健診ではオイルでお腹をマッサージしながら
「おしゃべり」という感じで妊娠生活での
不安や相談なんかをやさしく聞いてくれる。
妊婦みんなのおかあちゃんといった存在だ。
他のスタッフの皆さんも
「趣味はお産です」というような頼りになる方々ばかり。
お産に関わることをホントに楽しんでる感じがする。
いっくんを出産した病院に不満があったわけではないけど
今回『自然なお産』をしたいという気持ちが強くあって
ネットで見つけた「ひまわり」にまず見学に行き、
てるみ先生とお話をしてその方針に惹かれた私は
すぐに分娩予約を入れたのだった。
分娩台のない「ひまわり」でのお産。
それは理想としていた『暮らしの中でのお産』だった。
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ここ数日、妊娠中の話にさかのぼっていたので
流れではるちゃん出産の時の話を。
正産期に入り、切迫早産の安静解除が出て、
もう、すぐにでも産まれちゃうのかなと思っていたのに
お産の気配すらほとんどあらわれなかった。
毎日山歩きもしていたが、お腹の張りがあるくらい。
後で聞いたことだけど、
早産予防のために飲んでいたウテメリンという薬は、
持続性があるというか、あとあとまで体に残っていたりして
投薬をやめてもなかなか産まれないって事も多いらしい。
しかし予定日の前日、とてもキレイな満月だったので
「これは今晩あたり陣痛がくるかも!」と予感。
(満月の時は潮の関係でお産になりやすい)
…が、結局なにごともなく朝を迎えてしまった (;´ω`)
「とうとう予定日当日になっちゃったな~」と
トイレに入ると
ごく少量(というより微量)のおしるしあり。
思えばいっくんも予定日ぴったりに産まれてきた。
それで私は
と勝手に決めたのだった。
(つづく)
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