チャーリーくんのフルネームは
チャーリー・O・パーカー・ジュニアという。
(命名おとうさん)

おとうさんが17年前小岐須のキャンプ場で
目も開いていない子猫を草陰で見つけた。
このまま放っておくとキツネにでも
食べられてしまうだろうと思い
連れて帰って里親を捜すも見つからず、
おとうさんとこで飼われることになった。

だからチャーリーくんとおとうさんの付き合いは
私よりもずっと長い。

デブ猫デブ猫と言われていたのに
暑くなってきた頃から急に痩せ始めて
知人の獣医に連れて行くと
「17歳だしもうええやろ」と言われた。
もういいってことはないんだけど。
(この獣医別の人が愛犬を診てもらおうとした時も
 「だって雑種でしょ」と宣ったヤブだ)

病気なら対処できるけど
チャーリーくんは老衰なので
もう手の打ちようがないのだ。
点滴を毎日打って生き存えさせることは
できると言われたがそれもかわいそうだと思いました。

数年前に腎臓を悪くしてからずっと
療養食のキャットフードを食べていたけど
もう食べられるものを食べさせてやろうと
かつお節やお刺身や高齢猫用のムース状フードを
手をかえ品をかえエサ皿に毎日
盛ってやるんだけど
いつもなめる程度しか口にしなかった。

私と子ども達が留守の間、
おとうさんはチャーリーくんが
エサも食べず歩くこともままならなく
なっていくのを目の当たりにして
死期が近いことを覚悟し始めていました。

弱ってきてからはタイルが冷たくて
気持ちいいのかよくお風呂場で寝ていたので
最期の日、おとうさんもタオルで 拭いてやった後
お風呂場に寝かせてやったんだけど
置いた状態のまま死んでいたので
おとうさんが家を出てすぐに
死んでしまったんだと思います。

目を見開いたまま死んでいたので
居間の猫ベッドに運んで
その姿を見ていると
死んでいるというよりは
写真の一枚を見ているようでした。

いっくんが「かなしくてねれない」と
12時過ぎまで泣きながら起きていましたが
そのうち泣き疲れて寝ました。
私はチャーリーが腐らないように
クーラーをかけた部屋で
やはり寝付かれずずっと見ていました。

死んだ大ばあちゃんがお盆で帰ってきてるから
チャーリーくんを連れて行ってくれてるだろう
迷わないように、寂しくないように
とか考えていました。
でも大ばあちゃんは犬猫まとめて
「畜生」と呼んでいた人なので
大事にされているかどうか。

翌日、
みんなでメッセージを書いた段ボール箱に
4人でいっしょにチャーリーくんを納め、
朝一でおとうさんといっくんが買ってきたお花を
敷き詰め、エサも口の側に入れてやり
火葬場に連れて行きました。

帰りに雨があたってきたので
「涙雨だな」と思っていたら
見る間にどしゃぶりになり、
すぐ道路が川のようになりました。
すごい号泣の涙雨でした。
(このスコール涙雨はその後も数回きた)



いっくんが時々
「いま、チャーリーくんのこえがしたよ」
と教えてくれる。
いいなあ、おかあさん聞こえないや。





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